スタートレックと水戸黄門

最近ネットの動画サイトでスタートレックばかり見ている。過去のシリーズは全部見た。今見てるのはわりと最近の「エンタープライズ」という作品だ。SFと言えばカッコイイ宇宙船や派手な爆発シーンなどビジュアルのほうに目を奪われがちだが、スタートレックはどちらかという劇中の人間ドラマがおもしろい。そこにはアメリカ人が欲望する理想の人間関係があるからだ。歴代のスタートレックの艦長にはアメリカ人にとって理想のリーダー像が反映されている。エンタープライズ(NX−01)の艦長ジョナサン・アーチャーも例外ではなく彼は艦長でありながらみずから率先して危険な任務につく。宇宙船の艦長なんだからエンタープライズの司令室にいりゃあいいのに何故か末端の兵士ばりに市街地で銃撃戦をしたり、ジャングルを探検したりする。冷静に考えると、守るべき王将が戦地で毎回死にそうになるような作戦は戦術的におかしいのだがそこはテレビドラマ。艦長は若者といっしょに現場で戦う。部下を励まし、勇気づけ、時には自分の命を投げ出しても部下の命を守ろうとする。若者にとって頼りがいのある理想の上司を描いているのだ。



一方、今年63歳になる親父はリビングで再放送の水戸黄門ばかり見ている。水戸黄門は確かにおもしろいけど毎回同じパターンであきないのか?というのが私の素朴な疑問だ。だいたい黄門様は水戸家の血筋ってだけで何も特別なことをしていない。危険な任務は全部部下まかせ。部下を信頼しているのはわかるけど、正直部下の能力に依存しすぎのような・・・・。上司としてはあまり理想的ではない気がするが老人達からは今も絶大な人気を得ている。なぜだろうと考えたが最近答えがわかった。水戸黄門は主人公の光圀が活躍するドラマなのではない。水戸黄門というのは老人が欲望する理想の部下達(若者像)を描いているドラマだからだ。たぶん優秀な若者が老人(自分)を守り、無条件で慕ってくれる。そんな人間関係が気持ちいいんだろうな。きっと。


両者を見比べてみると、ドラマというものの本質は視聴者が現実世界で欲しているもの、満たされない心を埋めるための娯楽なんだなーということに気付く。そう考えるとスタートレック水戸黄門に優劣の差はないのかもしれない。