オタクという言葉の消失

オタクが語るオタク論ではなく、世間一般のオタクのイメージの話です。


今から17年も前の話です。中学生のころ、パソコンにすごく興味があってその手の雑誌を友達と見ながら「やっぱりIBMがいい」だの「マッキントッシュ最強」だの「富士通のタワー式も捨てがたい」だのと熱く語っておりました。(一般的なPC98はスルーするのがカッコいいというわけのわからない美意識があった)今ほどパソコンは普及しておらず、パソコン一台が30万円以上したときの話です。別の仲良しグループから「おまえらオタクなの?w」とバカにされた苦い思い出があります。当時コンピューターなどというあまり一般的ではない機器を愛好する人達を異端者扱いする傾向がありました。普通の人とそうでない人を差別化するための言葉がいわゆる「オタク」という言葉でした。今はどうかと言うとそんなことはないですよね。パソコンが欲しいと思うことはわりと普通で、むしろ仕事でパソコンが使えない奴は無能だと思われます。巷では「インターネット」や「ウィンドウズ」などの専門用語が日常的に飛び交い、パソコンのカタログを見てどれがいいかなぁとワクテカしながら選ぶだけではオタクと言われなくなりました。不思議なものです。もしかしたら「オタク」という言葉はその趣味が差別されなくなった瞬間に無くなる言葉なのではないのか?と私は思うのです。現代においてパソコンオタクと呼ばれるためには相当な知識と変態的な情熱が必要です。相当な知識だけではダメです。「専門的な知識が豊富ですね」とか言われて尊敬されてしまいます。パソコンが好きな人にも「悪いけど、そこまで好きなのは理解できないわ」と思わせるような変態的な情熱が必要なのです。逆に言えば自ら進んでオタクになりたくてもハードルが高くなりすぎてなかなかオタクになれない。そんな奇妙な現象がおこっています。一般人とオタクをわける垣根がかなりの勢いで変遷しつつあるように思えます。


近年ゲームオタクって言葉も聞かなくなりました。もう、大人だからと言ってゲームをするだけではオタク呼ばわりされることはありません。同じようにマンガを読むだけではオタクと呼ばれることもなくなりそうです。その趣味が理解され、広く普及されてしまうと第三者からオタクとは言われにくくなります。簡単に言えば「変な趣味ではない」と多くの人に思われたらそれはオタク趣味ではないと言えると思います。もしかするとアニメオタクという言葉も聞かなくなる日がくるのかもしれません。ジブリアニメやディズニーアニメが好きだからと言ってそれはなんら変ではないからです。「幼女の裸が出てくるアニメが好き」とか「イケメンのホモ同士が抱き合うアニメが好き」とか、現代人から見てちょっと変だと思われる趣味・人には言えないちょっと恥ずかしい趣味じゃないとオタクとは言われない。そう考えると「二次元美少女」「萌え」「エロゲー」「やおい」などいわゆる性的なものを扱ったジャンルは、まだまだ一般的ではない・理解されにくいという意味で、オタク最後の砦なのかもしれません。


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